PRSの定式化のための3つの方向性

PSRの定式化のためには自然現象を捉え方を以下の3つの方向性で整理しなければならない。

1.計算論と結びつけること
2.集合論と結びつけること
3.デジタルな解析に結びつけること

現代数学が論理学、集合論、自然数論などの数学基礎論や抽象空間論に向かったのと同様の方向に自然科学も向かわなければならないのだろう。
# by ykenko1 | 2014-04-12 11:12 | 情報論 | Trackback | Comments(0)

カオスを抱え込むこと

生物は常に自らの内にカオスを抱え込んでいる絶対矛盾的自己同一性を持つ存在だ。

人間や組織が発展し続けるためには、常に自らの内にカオスを抱え込まなければならない。

それができなかったから、ソニーは没落した。
# by ykenko1 | 2014-04-09 15:55 | 人生、哲学 | Trackback | Comments(0)

脳を管理する時代

マインドマップを開発したトニー・ブザンが彼の著書『The Most Important Graph in the World』の中で、今は情報を管理する時代ではない。それはコンピューターがやってくれる。情報を管理する脳そのものを管理する時代だ、と書いている。

私の「脳を管理するツール」はMind MapとEvernoteだ。

最近は何か考える時は必ずMind Mapを使っている。右脳と左脳が動員される感覚があり、頭の中が整理されるし、色々なアイデアが湧いてくる。

Evernoteは「第二の脳」と呼ばれている。使いこなすコツを掴むのに少し時間がかかるが、使いこなせるようになると人生が別の次元に入ったと感じることがある。
# by ykenko1 | 2014-04-09 14:26 | その他 | Trackback | Comments(0)

認識論と存在論から見た情報とパターン

認識論的に見るとパターンは情報であり、存在論的に見ると情報はパターンである。
# by ykenko1 | 2014-04-09 00:10 | 情報論 | Trackback | Comments(0)

情報とパターン

情報とは特異性を伝えるパターンである。

あるシステムが情報を認識するとは、パターン特異的な反応をすることである。
# by ykenko1 | 2014-03-21 13:27 | 情報論 | Trackback | Comments(0)

情報の3つの意味

前回、情報とパターンの関係について書いた。今回は情報の意味について、3つの観点から考えてみたい。

情報の意味は難しい問題である。情報科学の分野を切り開いたクロード・シャノンでさえ、情報の意味の問題は避けて通った程だ。しかし、それも当時(1948年)の時代の状況を考えれば、致し方なかったと思われる。その当時はまだコンピューターも現在のように普及はしておらず、脳科学もほとんど情報科学と結びついて研究されるに至っていなかったからだ。

現代においては、コンピューターが社会の隅々にまで影響を及ぼし、理論的にも技術的にも情報科学は驚くべき進歩を遂げている。また脳科学の分野でも脳機能の画像化がなされ、計算論的な脳の研究が進んでいる。今こそ、情報の意味とは何かと言うことを真正面から取り組むべき時代であろう。

私は情報の意味は(1)客観的な意味、(2)主観的な意味、(3)間主観的な意味、の3つの観点から研究されるべきだと考えている。

(1)客観的な意味は、パターンの入力(人間であれば五官からの感覚入力)に基づいて脳内にどのような変化が生じるか、そして行動上にどのような変化がもたらされるかを研究することで理解されるであろう。

(2)主観的な意味は、内省的なクオリアの問題であり、人文学の領域でもある。神経言語学者ジャッケンドフが問題提起した「心ー心問題」を考えてみよう。それは我々が自覚する意識の内容とそれを支える計算論的な脳活動の間のギャップの問題である。我々が考える時、自覚している思考の中身は直列的なプロセスであるが、脳の情報処理のプロセスは並列処理であり、そのプロセスを我々は自覚していない。思考のみならず見ると言う行為においても我々が意識するのは見る対象のみであり、それを支える網膜や視神経が賦活されるプロセスや視床を介して後頭葉の視覚野でプロセスやそれに引き続く頭頂葉や側頭葉における情報分析のプロセスなどを全く意識していない。我々は主観的な意識の内容と客観的なプロセスの対応関係を研究していくことになる。

(3)間主観的な意味とは、社会的な意味と言っても良い。例えば我々が言語を学ぶ時必ず社会的な相互作用を通してその使用法を学ぶ。視覚や聴覚が単純に環境との相互作用の中で神経系の発達がなされていくのに対して、脳同士の共鳴現象やミラーニューロンを介した相互作用、感情的な相互作用も含めて言語は学習されていく。最近ではソーシャルブレインズの研究として分野が確立されつつある。脳は他の脳とつながっていてこそ、脳本来の力が発揮できる。

ドナルド・デイビィドソン;『主観的、間主観的、客観的』

フッサールと神経科学

間主観性と現実

# by ykenko1 | 2014-03-16 17:33 | 情報論 | Trackback | Comments(0)

パターンと情報

これまでパターン特異的反応性(PSR)について書いてきたが、パターンと情報の関係について考えてみたい。

情報の概念は通常、人間および人間社会において用いられる。そしてミツバチ同士のコミュニケーションについて議論することがあるように、生物の世界においても情報の概念を適用することは可能であろう。しかし、情報の概念を物質世界にも適用可能かどうかは議論の分かれるところだが、最近は情報論的宇宙論も珍しくはない。

私の考えでは、情報はこの宇宙におけるPSRの一種である。人間や生物はパターンを通して周囲の世界を認識し、コミュニケートし、行動を変容させる。情報とはパターンを介して何事かが伝達される事態を表現している。そして伝達される何事かを、その情報の意味と言う。人間/生物は受け取ったパターンを自ら自体に生まれつき備わっている情報認識のシステムや経験を通して学習した内容と照らし合わせて、理解し、処理(解釈)し、蓄積し、時に行動を変容させる。情報は様々なあり方を呈するこの世界の一部分を切り取り、存在可能性の座標系の中での一点を指し示す矢印のようなものだ。つまりある種の特異性を表現している。

人間/生物は自らの内に内部世界を持ち、外部世界についての地図を持っている。そして受け取ったパターンを地図と照らし合わせて、その意味を探り、場合によっては行動を選択する。

PSRは「物質ー生物ー人間ーコンピューター」をつなぐ概念である。一方、情報の概念を物質世界に適応する場合は、物質からなるシステムがパターンを認識すると考えることになる。それが妥当であるかどうか?考え方としてはいろいろあるだろうが、最終的にはその考え方なりモデルが、どの程度実用性を持つかで選択すべきであろう。

# by ykenko1 | 2014-03-16 17:23 | 情報論 | Trackback | Comments(0)

パターン特異的反応性(PSR)の定式化

パターン特異的反応性(PSR)の定式化はどのようにしてなされるだろうか?

それは計算論によってなされる。計算論とはコンピューター上においてなされる計算を取り扱う数学の一分野である。離散数学と呼ばれることもある。ここにおいて注意しなければならないのは、計算と言う言葉である。コンピューター上でなされている計算はいわゆる数値の計算だけではなく、論理演算のように記号をある一定の規則に従って処理するようなものも含んでいることである。

計算論的なアプローチが記号の直列的な処理であるとすれば、記号の並列的な処理のモデルはセル・オートマトンである。(と言うかセル・オートマトンも計算論の一部分ですが。)セル・オートマトンは自己複製機械を考察するためにフォン・ノイマンによって考案されたモデルで、幾つかのセルがあって、そのセルがいくつかの状態を取ることができて、その近傍のセルの状態によって次の時間にどのように状態が変化するかについてのルールが決まっている。そのようなセルの時間的な状態変化を見ていくものである。

そしてこのような形で物質世界を理解しようとするアプローチは既に何人かの代表的な研究者たちによって切り開かれている。(MITの人たちが多い。)

・ツーゼ(Zuse,“Calculating Space”
・フレドキン(Fredkin, “Digital Mechanics”
・ウルフラム("A New Kind of Science"1200ページを越える大著;凄い人ではあるが、ちょっと考え方が偏っているのでは?)
・ロイド(Lloyd, “A theory of quantum gravity based on quantum computation”


教科書
・Schiff『セルオートマトン』(日本語なので取っ付きやすい)
・Ilachinski “Cellular Automata; A Discrete Universe”(一番総合的でバランスが取れた本)
# by ykenko1 | 2014-03-01 19:32 | 情報論 | Trackback | Comments(0)

パターン特異的反応性(PSR; Pattern Specific Reaction)(2)

さて、私の考えるパターンについて分かりやすく定義すると「パターンとは事物の特徴の組み合わせである」と言うことになる。ここで私が問題提起したいことは、そのようなパターンが問題になるのは、果たして多数の要素が相互作用するようなシステムにおいてだけなのであろうかと言うことである。もっとシンプルなシステムにおいてもパターンが重要な役割を果たしてはいまいか?

例えばスイッチを考えてみよう。電池があって、電球があって、銅線があって、スイッチがあるような回路である。スイッチを押す時はもちろんエネルギーが必要であるが、同じエネルギーを投入してスイッチ以外の場所を押しても、このシステムでは何も起こらない。スイッチを押した時のみ電球が点く。ここにおいて投入されたものは何であろうか?スイッチの場所と言うシステムにおける特異的な場所でのエネルギーの投入と、スイッチが入ることによって銅線がつながるというパターンの変化である。システムの関係性の変化と言っても良い。それは量の変化とは別ものである。スイッチ以外の場所で強い力で押したとしても、それに比例した変化は生じない。

別の例を挙げる。二つのボールA,Bの衝突を考えてみよう。台の上で運動する二つのビリヤードボールが衝突する場面を想像してほしい。この現象において、衝突の前後で作用反作用の法則や運動量保存の法則が成り立つ。しかし衝突と言うイベントが発生するかしないかについては、AとBそれぞれがどういう速度でどういうタイミングで運動しているかと言う時間的な関係性とどういう方向で運動しているのかと言う空間的な関係性が関わっている。それは量の問題ではなく、量の組み合わせの問題である。

量とパターンとは違うのである。(これは実はベイトソンの言葉だ。cf.『精神と自然』)
# by ykenko1 | 2014-02-04 23:31 | 情報論 | Trackback | Comments(0)

パターン特異的反応性(PSR; Pattern Specific Reaction)(1)

私は自然科学の分野においてパターン特異的反応性(PSR; pattern specific reaction)と言う概念を新しく立てるべきだと考えている。それはどういうことか、以下に説明してみる。

これまで物理の世界においては、運動や質量やエネルギーなどの客観的に定量化できるものごとの因果関係について取り扱ってきた。その第一の集大成がニュートン力学であり、第二の集大成がアインシュタインの相対性理論である。

一方で物質の組成がどのようになっているのかを追求してきたのが、化学であり、その第一の集大成は元素表である。その第二の集大成は物理と化学を合わせた形の量子力学である。

20世紀になり、物質とエネルギーのマクロの世界の究極理論が相対性理論であり、ミクロの世界の究極理論が量子力学と言うことで、未だに相対性理論と量子力学を結びつける大統一理論は完成していないとは言え、一応物質とエネルギーの世界の因果の全てを説明する理論が整ったように思われたのだ。(ある人はこれで科学的探求はほとんど究極まで行き着いたと言う意味で『科学の終焉』と言った。)

しかし、そのような世界観からはみ出す領域について同じ20世紀に広く知られるようになった。カオスや複雑系と言った非線形力学の領域である。

それらの領域の特徴は、多数の要素からなるシステムの複雑な相互作用から生じるパターンへの注目である。それはエネルギーのような量への注目でもなく、構成する物質が何であるかと言う個物への注目でもない。物質やエネルギーが時間的空間的にどのように組み合わされているのかと言う関係性への注目である。

(しかし自然科学の世界で最初にパターンについて注目し、定式化したのは19世紀の熱力学の分野のエントロピーの概念である。)
# by ykenko1 | 2014-02-04 23:30 | 情報論 | Trackback | Comments(0)


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