複雑系の認識論(13);標示がヒトを導く

  例えば廊下を歩いていて「足元注意」という標示が目に留まる。そして改めて足元をよく見ると段差があることに気づき、普段よりも足を高くあげて乗り越える。車を運転していて「衝突事故多し」となっている。改めて見回すと確かに衝突事故など起こりそうな空間配置になっている。そして注意して車を進めることにする。
  上記のようなことは日常生活の中で誰でも経験があるはずだ。その時ヒトは標示によって改めて自分の注意をある部分に集中させ、そのことにより危険などを回避する。もちろんそれで100%危険を回避できるということではないが、ある程度の効果は期待できる。
  このような標示とヒトのインタラクションをもっと応用できないだろうか。
  最近、流行のユビキタスコンピューティングなどでは、例えば美術館のようなところで耳にセンサーを付けていて絵の前に立ち止まると耳の受信機が電波信号を受け取ってその絵の解説が聞けるなどいろいろな応用範囲がある(参照;どこでもコンピュータ革命)。
  先ほどの標示の機能とこのユビキタスのシステムを危機管理に応用することを考える。例えばビルなどの密閉空間での火災。一番問題になるのが多くの人々がパニックを起こして一斉に出口に殺到して、中には押し倒されて二次災害になる。その時、人々の耳にマイクロコンピュータが付いていて、全体の状況を把握しつつ集団としてもっとも合理的な行動を取れるようにひとりひとりに異なるメッセージを送る。「あなたは目の前のおばあちゃんのうしろから行くように」「あなたは背の高い中年男性のうしろから行くように」「あなたは右後ろのドアから出るように」「あなたは非常階段から降りるように」などなど。このようにあまりにも状況が複雑で個々人でできない判断をコンピュータに肩代わりさせる。
  それから昨年末のスマトラ沖大地震のような場合。現地の人々は津波というものを経験したことがなく、そのため逃げ送れて多くの犠牲者も出たという。自分たちが経験した範囲外の出来事が起こった場合に、コンピュータがひとりひとりにふさわしい指示を出す。そのことによって危機的状況を回避する。
  ウェアラブルコンピューティングというのもあるが、これも似たような発想かもしれない。(参照;WIN Website
by ykenko1 | 2005-02-28 19:31 | 認識論 | Comments(0)


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