個性について(2)

  何日か前に「個性について」というテーマでブログを書いて、それに対してhomeandhomeさんからコメントをもらった。そのときすぐにコメントバックしたのだが、あまりにも安易なことを書いてしまったので反省し、改めて「個性について」の自分の考え方を書いてみたい。
  この前の今敏監督の言ったニュアンスと少し違うかもしれないが、安易な「個性尊重」の考え方は嫌いである。そういう場合の個性というものが大抵うすっぺらな中身のない個性である場合が多いからだ。
  私が考える本物の(?)個性は、例えば歌舞伎の「守・破・離」の世界を通過した人間の個性である。「守・破・離」とは「守」とは伝統的な教えをそっくりそのまま守ろうとする段階、「破」とは伝統から少し離れて自分なりのものを付け加えていく段階、「離」とは伝統と自分らしさが完全に融合した自由な境地。
  例えばピカソのあの自由な絵も幼少期の緻密なデッサンの上に成り立っている。例えば元YMOの坂本龍一。同じメンバーの細野や高橋は消えてしまったが(って、消えてないよ!)、坂本だけが残っているのはやはり芸大で鍛えた音楽的な基礎があるから(という私の見解)。ちなみに私は坂本龍一が好きではない、なぜなら私の好きな矢野顕子と離婚してしまったので。
  最近、ゆとり教育は失敗だった、なんて言う反省がされているが、あんなものは当たり前で、そんなこと始める前から分かり切ったこと。子供の頃はみっちりしごいた方が良いというのが私の持論である。

  …そんな感じです。
by ykenko1 | 2005-03-11 23:50 | その他 | Comments(2)
Commented by homeandhome at 2005-04-17 16:44
遅ればせながらですが、ご丁寧な解答ありがとうございます。私も小さいときはしごいたほうがよいという立場です。個性という点では養老猛司が「個性は固まってしまっているともいえるのではないか?人間は流動性を持つ必要がある。」というようなコメントをテレビで言っていたのが印象的です。
 個性と流動性のバランスが生きていく上では大切なのでしょう。
Commented by ykenko1 at 2005-04-17 23:22
生物の発生の過程を見ても、最初はどの細胞も同じ性質を持っていますが、分化が進むに従って、個性が出来てきます。それはそれぞれの細胞が環境との相互作用やいろいろな経験を経たのちにそうなるのだと思います。最近は幼稚園でも園児の個性を尊重するとかで、ニンジンを食べない自由とか、学芸会に参加しない自由を尊重するだとかもあるそうです。これでいいんでしょうか…、首をかしげたくなります。


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