ヴァレラ『身体化された心』の感想

わるねこさんからの紹介でヴァレラの『身体化された心』を読んだ。

まず、この本を読み終わって感じた事と言えば、一体自分は何の本を読んでいたのだろう、という不思議な感覚であった。認知科学の方法論上の問題点の指摘から始まり、最終的には自然科学と仏教が手を取り合って新しい文化を建設していく話になる!しかしよく考えてみれば元々認知(神経)科学は自然科学と人文学の中間領域にあって双方に影響を与え、社会に対するインパクトも強い分野ではあるのだから、当然のことなのかもしれない。自然科学者が自らの研究の社会的な意義をよく自覚しつつ研究を進める態度は正しいのだと思う。

もうひとつの感想はフランシスコ・ヴァレラは「知の巨人」であるということ。私が「知の巨人」に出会ったのはこれで二人目。一人目は思想家(?)のグレゴリー・ベイトソンである。私の定義では「知の巨人」は「1.自らユニークな問いを立て、自らその問いに答える為の方法論を開発し、それに答える人」、「2.特定の分野に捕らわれずに分野横断的な視点を持ち、自分独自の世界観の体系を作り上げる人」と言う事。ヴァレラは既に55歳でこの世を去っているとのことだが、惜しい人物を亡くした。この人があと10年生きていたらどこまで到達したことだろう?

さて、ヴァレラの主張をいくつかにまとめると
1.知覚=行為

2.認知=環境との構造的カップリングの歴史と反復性の感覚運動パターンから創発される

3.認知科学は認知を研究のテーマにしているが、その方法論そのものの中に科学者自身の認知が含まれているのでそこに論理的な矛盾、根源的な循環性、がある。

ということになるだろうか。

上記の1,2に関連して言えば、ヴァレラは基本的に現在の認知科学の世界で用いられている記号(=表象)の概念を認知主義と呼んで批判する。分かりやすく言えば外側の世界(環境)と内側の世界(生物の認知の世界)があって、外と内を結ぶものとして記号=表象がある。生物がその記号を操作することが認知である。これが認知主義の考え方で主にはコンピュータからのアナロジーが用いられている。ヴァレラの批判は脳の中にはそのような記号は存在しないし、記号によって環境世界のモデルを生物が内側に作り上げる方法論というのは有効なやり方ではない、ということ。内(生物)と外(環境)という二分法も適切ではなく、環境が生物に影響を与えて生物のあり方を決定するだけではなく、生物が環境を決定する側面もあり、それらは切り離す事ができない。生物は環境との相互作用の中で記号を用いているのではなく、生物体自身の構造を作り変えて行く中で環境の認知が生じる。このあたりはヴァレラお得意のオートポエーシスの考え方で、彼の中では環境が生物を決定するというよりも生物が環境を決定するという側面を強調したいようだ。

もうひとつは大脳皮質信仰に対する批判があって、これはアントニオ・ダマジオの『生存する脳』と共通しているように感ずる。つまりは脳から下も大事だよ、と。

3に関しては仏教のナーガルジュナによる中観派の思想を紹介しながら、現代科学が研究対象としている日常的な意識のあり方は純粋なあり方ではなく、意識を純化させる仏教の方法論から我々は学ぶべきだという主張をする。確かに言われてみると西洋の科学の伝統の中で取り扱われて来た意識というのはあまりにも平面的なもので、東洋の観点からすると深さの次元が欠けているのかもしれない。(以前から変容意識の科学というのもごく一部分ではあったけれども。)

ヴァレラの提出した観点は新しいし、面白いとも思う。こういう観点から今後も様々な研究が展開されていくことも可能だろう。ただこの観点でどこまで行けるのかという疑問が最後に残る。例えば彼が重要な研究者として注目しているMITのロドニー・ブルックスがいる。彼は『表象なき知性』というAIに関する論文の中で、ヴァレラと同じように表象(=記号)を用いたこれまでのAIのモデルを批判して、表象なきロボットを作っている。しかしブルックスの目標は「昆虫レベルの知性」だと言う。つまりこのアプローチで人間の知性を説明することについては初めから考えられていない。そういう意味で限界はあるようにも思う。

(追記)ヴァレラの世界観は量子力学の世界観に似ているかもしれない。
by ykenko1 | 2006-11-03 09:32 | 脳科学 | Comments(7)
Commented by わるねこ at 2006-11-03 23:58 x
ykeko1さん、ついに読み終えたのですね。
このような的確なレビューを書いて頂いたおかげで、「身体化された心」に対する僕の理解もずっとすっきりしました。

僕はベイトソンの著書を詳しく読んだことはありませんが、Varelaの論考のフィールドは、神経生理学、システム論、現象学、進化論、応用数学、仏教に及んでおり、Varelaも知の星の元に生まれてきた人なんだな、と思っています。

この本の数年後に発表されたF.VarelaとE.Thompsonの"Radical Embodiment"と題された共著論文では、「身体化された心」の内容がより具体的な表現で描かれていて、かなり興味深いです。
Commented by わるねこ at 2006-11-03 23:59 x
(つづき)
ykenko1さんの御指摘のように、この観点をどこまで科学的に進めることができるのかは未だ未知数ですが、すくなくともykenkoさんが挙げた(1)〜(3)の3つのテーゼについて、それなりに実証的な研究が進められているようです。(1)に関しては、知覚論で最も注目している研究者Alva Noeが、このテーゼを実験データをふまえてかなり具体的に論じています。また、フランスでVarelaのグループにいたA.Lutzは「神経現象学」を地で行くような実験を行っていますし、Le Van Quyenは(2)の創発あるいは非線形的ダイナミクスを脳波やMEGの解析手法からアプローチしているようです。(3)に関しては、A.LutzやR.Davidsonらがチベット密教の瞑想と同期現象との関連を報告しています(この手によくあるうさんくさい論文ではありません)。(2)、(3)とも関わる脳を「関係的全一性」をそなえたネットワークとして捉える観点は、最近ではもはや違和感無く受け入れられているように思えます。

僕自身は、このような「Varela以後」の潮流が気になっており、動向を追跡していきたいと思っています。
Commented by ykenko1 at 2006-11-04 00:25
>(1)〜(3)の3つのテーゼについて、それなりに実証的な研究が進められているようです。
なるほど、そうですか。それは楽しみですね。新しい観点が新しい研究の流れを作り、それらがまた総括されてまた新しい次元での理解が深まる。認知神経科学の分野もまだまだこれからいくらでも発展の余地がありますね。今回の記事には書いていませんでしたが、『身体化された心』の論理構成は素晴らしく、しびれました。美しく整えられた庭園を散策しているような気分になりました。まったく新しい概念を立ち上げているのに、それを論証していく足取りは確かで非常に説得力がある。お手本のような本です。(そういえばダーウィン進化論に代わるナチュラル・ドリフトの話を記事の中で書き忘れていました。)
Commented by わるねこ at 2006-11-07 00:24 x
マトゥラーナとの共著である「知恵の樹」も、出版時期は古いですが、内容は高密度で、何度も読み返しました。「身体化された心」はある意味で未完の作だと思います。Varelaが生きてたら、広い意味での神経科学も、もっと面白いものになっていたのでしょうね。
Commented by +9 at 2008-04-07 16:30 x
 はじめまして。
 日本において、オートポーエイシス理論を支持するのは東京大学の西垣通教授ですね。とある超心理学者のサイト(胡散臭いだなんて言わないで)で、この方の名前が出ていたので、調べてみたのですが、うーん、機械中心主義はもう限界期に来ているのか、と考えさせられました。
 ユダヤ=キリスト教に対する見方も、かなり参考にさせていただきました。普遍思想がなければ、彼ら(ユダヤ人)はやって行けなかったと。
Commented by ykenko1 at 2008-04-07 19:10
+9さん、こんにちは。日本でオートポイエーシスと言えば東洋大学の河本英夫先生でしょうね。西垣氏は情報論で有名なのだと思います(西垣氏の本の中にオートポイエーシスは出てきますが)。超心理学であっても頭ごなしに否定するつもりはありません。仮説はどんなものであっても良いのであって、要はそれを証明する方法論やロジックがしっかりしたものかどうかを検証すべきであるというだけです。量子力学や複雑系の時代ですから機械論に関しては18世紀のデカルト時代のような機械論は既に通用しなくなっているでしょう。またシュレディンガーは「生物は負のエントロピーを食べている」と指摘した点に関して明確な説明もいまだなされていないと思います。いまだ生命現象は物質的な観点からすると謎です。
Commented by +9 at 2008-04-08 21:08 x
 その超心理学者さんですが、超心理学が本流科学に認められるためには、理論が必要なのだとぼやいておりました。実際、ガンツフェルト実験と呼ばれる超心理学実験があるのですが、これは統計上検知可能な範囲という意味では、有意な結果を出しているのですが、本流科学では、過小評価されるか、無視されがちです。それどころか、ガンツフェルトよりも効果が低いものでも、科学的な根拠や裏付けがあれば、再現性が極めて低かろうとも認められることがあるらしいです。
 英夫と名前の付く人に「トンデモ」が多いなどと主張する某団体(笑)もおりますので、今までその手の人の話はあまり興味はなかったのですが、今度より詳しく調べてみますね。


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