カテゴリ:認識論( 20 )

円環的思考と直線的思考

円環的思考の良いところは、直線的思考と違って原因を究明する必要がないこと。とにかくどこかでループを断ち切れば良い。

直線的思考を導くのはロジック。円環的思考を導くのはパターン認識。
by ykenko1 | 2010-02-20 18:40 | 認識論 | Comments(0)

パターンのやり取り

外から内に向かってくるパターンを受け止めることが認知であり、内から外に向かってパターンを押し付けることが行動である。


にほんブログ村 科学ブログへ
by ykenko1 | 2007-11-14 22:57 | 認識論 | Comments(0)

情報空間と意味のクラスター

認知心理学や神経心理学の分野では意味記憶と言うと視覚・聴覚・触覚等の様々なモダリティからの入力による記憶や経験のクラスターのようなものと考えられている。意味を情報空間の中に浮かぶクラスターとして考えてはどうだろうか?情報はその意味が情報空間の座標系の中で占めている位置を指し示すに過ぎない。情報はアドレスであり、意味がそのコンテント。そんな風に考えることで整理されてくるのでは。もちろん意味には過去の経験から付与される情動的なコンテントも含む。

関連記事;がんばれ!日本人研究者(9);松本元パート2
by ykenko1 | 2007-01-25 23:42 | 認識論 | Comments(2)

空想と現実の区別とそれを支える神経基盤

昔(2004.11.17)、複雑系の認識論(2);脳はいかにして空想と現実を見分けているのか?という記事を書いた。(本当に昔のネタを再度持ち出して申し訳ない。)内容としては人間が如何にして空想と現実を区別しているのかという認知心理学的な研究の話であった。結論としては脳の中の情報処理過程でボトムアップ的な処理の痕跡が強いものが現実として認識され、トップダウン的な要因が強く残っている者が空想として区別されるというような話であった。(前回の記事に追加するとすれば、空想は一面的なアクセスであるのに対して現実は多面的なアクセスが可能という面も指摘できるだろう。)

上記の話はあくまでも健常者の認知のお話。痴呆症の方や統合失調症の方が妄想という症状を呈するような場合はこれとはまた違ったファクターが絡んでくる。妄想の場合、誤りを訂正できないのが特徴で、妄想内容をご本人は確信している。確信とは情動のひとつの有り方なので単に認知の次元に収まらない。アルツハイマー病で妄想の症状を呈する場合は右大脳半球の障害が強い場合が多いと言われている。ラマチャンドランという有名な神経科学者の説によれば、左の大脳半球は放っておくと自分の手元にある情報から合理的な作り話を構築してしまう。それに対して右半球は左半球の作り話を現実と比較してその整合性をチェックする働きをしていると言う。ウェルニッケ・コルサコフ症候群と言ってアルコール依存症やビタミンB1欠乏症の方が物忘れや見当識障害、作話等の精神症状を呈することがある。作話とは本人に悪気はないのだが、どんどん作り話をしてしまう症状。この症候群を来す部位としては前脳基底部といって脳の前方底面に近い場所の障害が指摘されているが、この部位も人間の現実感覚をチェック(リアリティ・モニタリング)するとして考えられている。
by ykenko1 | 2006-10-17 15:47 | 認識論 | Comments(0)

情報の2つの役割と情報実在論

情報には「パターンを伝えること」と「方向性を指し示すこと」の2つの役割があるのではないか。我々はパターンを用いて世界についてマッピングする。「方向性を指し示すこと」とはそのマッピングされた世界の中のどこにフォーカスを当てるかということ。この情報の2つの役割が心脳問題のハードプロブレムとしての「クオリア」、「志向性」の問題と関連しているのではないか。

私は情報実在論の立場を取りたい。情報実在論とはこの世界が何らかの形で情報の法則によって拘束されているということ。だからこそ、この世界に脳のような情報処理装置が出現する必然性があったのだろう。
by ykenko1 | 2006-10-12 18:21 | 認識論 | Comments(2)

複雑系の認識論(14);プロトタイプと認知

  人間が顔を認知する場合にどのようなメカニズムが働いているのか?(以下は『知性と感性の心理』福村出版を引用しつつ色々と考察。)「比較的均質なパターンでありながら、多くの顔を識別・記憶・再認できるところに顔認知の特徴がある。」「どのようにして効率的に識別・再認できるのであろうか。」「ひとつの手がかりが特異性効果(distinctiveness effect)である。周囲にあまりいないような特異な顔は、識別も容易であり、記憶・再認も容易である。」「また見慣れた人種の顔は認知が容易であるのに対して、接触機会の少ない他人種の顔では認知が困難であるという自人種優位効果(own race bias effect)も手がかりとなる。」「このような現象から、それまで出会った顔から顔のプロトタイプ(prototype=原型・模範)が形成され、個々の顔はプロトタイプ顔との差異として表現されていると考えられている。」
  乳児に関する研究では6ヶ月までの子供は、日本人の子供であっても英語のrとlの発音を区別することができ、アメリカ人の顔やサルの顔まで区別できるという。しかしその後は、それらの能力は日本の環境の中で生きていく上で不要なものとして退化していく。
  人工知能の研究ではニューラルネットワークを用いて人の顔を多く覚えこませていくと、例えば日本人の顔を多く覚えこませたシステムは日本人の顔の識別に敏感になるが、それ以外の人種の識別力は劣るという。それはちょうど人間の顔認知と同様のメカニズムが存在している、というかむしろ、人間の顔認知システムがニューラルネットワークと同様と考えるべきか。
  さて、ここからいろいろ考えてみる。これまで研究上知られているのは上記のようなレベルの、顔の認知と言ったある特殊な認知においてプロトタイプを利用した認知システムが考えられるという話であったが、同様なことはより高次な次元の人間の思考活動でも見られるのではないか。例えば自分が法律家だったとする。そうすると教育課程の中で法律家の世界でのこれまでの知識や慣習を学んでプロトタイプを作り上げる。そしてそのプロトタイプからのずれで物事を正しいとか間違っているとか判断する。例えば、人生の様々な場面の中で政治家という人種の言動に触れる。そういう中で政治家とはこのような種類の人間達なのだというプロトタイプができあがる。そしてそれに基づく判断が形成される。
  ある分野のエキスパートになると、その分野での経験の中から自ら作り上げてきたプロトタイプに基づいて、そこからの微妙なずれに敏感になる。その微妙なずれはプロトタイプがあるからこそ感知できるものである。しかしそのプロトタイプは大きなずれに対しては鈍感である。(ちょうど他人種の顔の識別が難しいように。)
  そう考えるとプロトタイプに基づく認識は大変、有用である反面、ある種の拘束を伴い、限界を伴うものである。プロトタイプはあくまでもある範囲内でのみ有効なのであって、それ以外の分野ではうまく機能しないものである。しかし、我々はどの程度、このことを自覚しているだろうか。プロトタイプを絶対視して物事を判断してしまう傾向はないだろうか。振り返る必要がある。
by ykenko1 | 2005-06-27 22:49 | 認識論 | Comments(0)

人間と言葉

人間は宇宙と歴史と言葉の世界の中に生きている。

人間は言葉によって世界を認識し、コントロールする。逆に言葉が人間を支配し、制御する側面もある。人間と言葉の不思議な関係。
by ykenko1 | 2005-03-30 08:45 | 認識論 | Comments(0)

複雑系の認識論(13);標示がヒトを導く

  例えば廊下を歩いていて「足元注意」という標示が目に留まる。そして改めて足元をよく見ると段差があることに気づき、普段よりも足を高くあげて乗り越える。車を運転していて「衝突事故多し」となっている。改めて見回すと確かに衝突事故など起こりそうな空間配置になっている。そして注意して車を進めることにする。
  上記のようなことは日常生活の中で誰でも経験があるはずだ。その時ヒトは標示によって改めて自分の注意をある部分に集中させ、そのことにより危険などを回避する。もちろんそれで100%危険を回避できるということではないが、ある程度の効果は期待できる。
  このような標示とヒトのインタラクションをもっと応用できないだろうか。
  最近、流行のユビキタスコンピューティングなどでは、例えば美術館のようなところで耳にセンサーを付けていて絵の前に立ち止まると耳の受信機が電波信号を受け取ってその絵の解説が聞けるなどいろいろな応用範囲がある(参照;どこでもコンピュータ革命)。
  先ほどの標示の機能とこのユビキタスのシステムを危機管理に応用することを考える。例えばビルなどの密閉空間での火災。一番問題になるのが多くの人々がパニックを起こして一斉に出口に殺到して、中には押し倒されて二次災害になる。その時、人々の耳にマイクロコンピュータが付いていて、全体の状況を把握しつつ集団としてもっとも合理的な行動を取れるようにひとりひとりに異なるメッセージを送る。「あなたは目の前のおばあちゃんのうしろから行くように」「あなたは背の高い中年男性のうしろから行くように」「あなたは右後ろのドアから出るように」「あなたは非常階段から降りるように」などなど。このようにあまりにも状況が複雑で個々人でできない判断をコンピュータに肩代わりさせる。
  それから昨年末のスマトラ沖大地震のような場合。現地の人々は津波というものを経験したことがなく、そのため逃げ送れて多くの犠牲者も出たという。自分たちが経験した範囲外の出来事が起こった場合に、コンピュータがひとりひとりにふさわしい指示を出す。そのことによって危機的状況を回避する。
  ウェアラブルコンピューティングというのもあるが、これも似たような発想かもしれない。(参照;WIN Website
by ykenko1 | 2005-02-28 19:31 | 認識論 | Comments(0)

複雑系の認識論(12);ヒトがミスを犯すとき

  最近、周囲の人の影響もあって将棋に関心がある。今日もNHKで将棋の番組を見たのだが、今回は谷川名人と森内二冠の対局。これまでのこの二人の対戦成績は21対24でほぼ互角の勝負。これはいい試合になりそうだと楽しみに見ていた。ところが打ち始めてわずか3手目で谷川名人は長考する。おそらく予想外の展開だったのだろう。その後、気をとりなおして何事も無かったかのように谷川名人は打っていったのだが、終盤に差し掛かって、解説の郷田9段がまさかこの手は無いだろうと予想していた悪手を谷川名人は打ってあっさり負けてしまった。
  おそらく谷川名人ほどの人なので、落ち着いて考えていればあのような悪手は打つはずもないのだろうが、気分的なものが影響していたのだろうか。あの3手目の長考も影響したのか。
  ヒトは冷静さを失うとき、普通の状態に比べて視野が狭くなる。注意をいろいろなところへ配れなくなってしまう。その結果、判断を誤ってしまうことがある。
  追い詰められたときにも落ち着いていられること。そして予期しない悪い出来事のあとで気分を振り返られること。これが精神力の強さというものだろう。精神力とは忍耐力・集中力・楽観主義である、というのはある人から聞いた言葉。
  しかし、なかなか思い通りにはいかない。
by ykenko1 | 2005-02-20 17:24 | 認識論 | Comments(4)

複雑系の認識論(11);自分が表現したことが自分を拘束する

  以前の記事で複雑系の認識論(5);分からないときに書いてみるを書いた。頭の中で考えていてなかなか理解できないことを書いてみることで分かるようになる別の理由として、書くことはひとつの宣言であると言うことも挙げられるだろう。書くことで自分はこのような観点から考えるというひとつの立場を選択し宣言することによって、あいまいであった自分の立場が明確化し、混乱していた情報処理の経路が明確化されることによってすっきりしてくる。
  よく小説家などが自分の書いた作品がひとり歩きを始めると言うが、我々は自己を表現することによってその表現したものが自分から独立した存在となって自分を拘束することを経験する。それは自分を表現することによって自分の立場が明確化されるからだ。自分を表現することはそれによって自分を作り上げることでもある。
  自分を表現したときに自分を取り巻く周囲のシステムには必ず何らかの変化が生じる。そして何らかの差異を周囲のシステムに刻み込むことになる。まさしくexpress(=表現する)はex(外に)-press(刻印する)ことである。
  つまりは自分を表現することは自分と周囲のシステムを作り上げる創造的な行為でもある。
by ykenko1 | 2005-02-16 23:23 | 認識論 | Comments(0)