カテゴリ:生物学( 17 )

郡司ペギオ幸夫『生命壱号—おそろしく単純な生命モデル』

  最近は複雑系の本を読む事から大分離れていたのだけれども、本屋で郡司ペギオ幸夫氏の『生命壱号—おそろしく単純な生命モデル』(青土社)を見つけて、思わず購入してしまった。大変、興味深く、またその高度な内容に感銘を受けたのだけれど、一番強く感じたのは「今の時代は哲学と自然科学の境界が曖昧になりつつある」と言う事だ。
  研究の分野としては構成主義的生物学と言うことになるのだと思う。つまり、ある比較的単純な生命のモデルを作ってその振る舞いを観察しながら、現実の生命についての洞察を得ようとするもの。構成主義的生物学に関連すると思われる本はこれまでに金子邦彦生命とは何か』(レポート①レポート②レポート③レポート④レポート⑤)や、池上高志動きが生命をつくる』を読んだ。それぞれが共通する方法論を持ちながらも、その出発点や目標とするところが異なることから、その論理展開も異なっている。
  金子氏は化学反応のネットワークを出発点としながらそのモデルを作り、シュミレーションの結果と大腸菌による実験結果等と比較し、その妥当性を検証している。池上氏の出発点はロボットで、その背景には認知の身体化(embodiment)に関する興味があって、ダイナミカルカテゴリーの話などが出て来る。郡司氏の出発点は生命の本質を「全体と部分の両義性」にあるとして、そこを出発点として非常に単純なモデルを作っている。つまり出発点がとても哲学的で演繹的なのだ。しかしもちろん現実の生命現象との比較検討(真性粘菌における実験)は行っていて、そういう部分は自然科学なのだけれど、半分は哲学の分野に足を突っ込んでいる。そういう方法論に関して異論を唱える向きもあろうけれども、逆にそのようなアプローチ故にその後の論理展開はクリアカットで分かり易い。様々な応用も可能だ。
  哲学と自然科学の境界が曖昧になってきていると書いたけれども、郡司氏の著書の中では思考実験が単純なプログラム化され、そのシュミレーションの振る舞いが観察される。それは丁度、抽象的世界の動物行動学の様でもある。
  氏の作った生命モデル“生命壱号”は2次元セルオートマトンである。それには内と外があり、外部からの撹乱があり、過去の履歴を現在の行動の中に取り込む履歴依存性がある。外部からの撹乱は食物の取り込みと排出と考えることもできるし、認知的に捉えれば生命にとってのある種の「経験」と考えることもできる。履歴依存性は過去の自分の振る舞いを利用するものなので、自己言及性でもある。生命壱号の運動にはアメーバ運動とネットワーク形成運動があり、認知の様式には探索と利用がある。それらは計算論的に言えば、それぞれ開かれた計算と閉じた計算を意味している。生命壱号は単純でありながらも成長したり、複製したり、問題を解いたりする。
  郡司氏の問題意識の中心を「全体と部分の両義性」と書いたが、実際には著書の中では「タイプとトークンの両義性」と表現されたり、「マクロとミクロの問題」と表現されたりする。タイプとトークンとは記号の使われ方の種類で、タイプが一般概念でトークンが個別的具体例である。例えばコーヒーと言ったら飲み物の中のコーヒーというカテゴリーを指す場合と目の前にあるカップに入り湯気を立てている具体的な個物を指す場合がある。タイプとトークンの両義性は存在論的構造でもあり、認識論的構造でもある。氏はこれらの生命現象における両義性の問題について、多くの場合どちらからに還元されて理解しようとするアプローチになってしまうことについて、嘆いている。むしろタイプとトークンの媒介層、あるいはマクロとミクロの中間層が重要であり、本質であると主張する。マトゥラーナ&ヴァレラのオートポイエーシスウォルフラムのセルオートマトンも両義性の問題を単純化してしまい、本質をつかみ損ねている。オートポイエーシスとは自己制作であるが、そこでは環境としての自己(大文字の自己)と作られる自己(小文字の自己)が論じられる。大文字の自己も小文字の自己も未定義で徹底的に不定に留まらなければならないのに、何か確実に実在するもののように取り扱われている。ウォルフラムのセルオートマトンにおいては臨界現象としてのクラス4が生命現象のメタファーとして用いられているが、それも結局は決定論的カオスと周期的振動の共立に過ぎない。そこにおいてはマクロな現象は結局ミクロなルールに還元されてしまっている。郡司氏は生命壱号式セルオートマトンとしてウォルフラムのセルオートマトンのルールに一段階メタなルールを挿入する事で真の意味での創発現象を可能にする1次元セルオートマトンを提案している。それは観測者の載った計算システムであり、マクロとミクロの間に内部観測者を置いたシステムである。
  本書を読む中で西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」という言葉を思い出した。今後も抽象世界と現実世界のスリリングな対話に注目していきたい。

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by ykenko1 | 2010-12-30 09:45 | 生物学 | Comments(2)

生物と情報

神経系や免疫系のように生物には特定の情報(差異)を自らの内にあるパターンとして固定化し、それを利用して、以降に同様な刺激に出会った場合に強い反応を示すという仕組みが備わっている。生物は情報に敏感なインテリジェントシステムである。
by ykenko1 | 2007-01-09 00:23 | 生物学 | Comments(0)

遺伝子の謎

  ゲアリー・マーカスの『心を生みだす遺伝子』(岩波書店)を読んだ。最近の遺伝子関連の知識と遺伝子と脳、遺伝子と心と言ったテーマに関して分かりやすく書いてあって勉強になった。
  しかし、遺伝子に関して昔から疑問を感じていたことがある。それは何かと言うと「遺伝子に遺伝情報が記載されているとして、それを読んでいるのは誰なんだ?」と言うこと。クリックのセントラルドグマからすると「DNA→RNA→タンパク質」ということだから、RNAがDNA上の情報を読み取っているということになるけれども、RNAはそんなに頭がいいのか?ただの分子の固まりでしょ?最近では遺伝子にはオンとオフがあってすべてが発現している訳ではなく、必要なものが必要なだけ発現するということになっていて、遺伝情報には「タンパク質の鋳型」としての情報と「いつその遺伝子が使われるか」という制御情報の二種類があるのだけれど、それにしてもいろいろな細胞内外の状況を判断して遺伝子上の情報をオンにしたりオフにしたりできるというのは、もの凄いことだ。こんなことはありうるのか?・・・という疑問はますます深まっています。
by ykenko1 | 2006-04-24 17:34 | 生物学 | Comments(4)

複雑系の生物学(13);金子邦彦『生命とは何か』レポート⑤ ゆらぎと記憶

 金子氏の本の中で以下のようなモデルが提示されている。初めは一種類の細胞(幹細胞S)がいくつかあって相互作用しながら何種類かの細胞(AとB)へと分化していく。そしてそのときに細胞S、A、Bが例えば縞模様のようなパターンを作る。そのとき分化した細胞Bをひとつ取り出して別のところにおいて見ると、その細胞は幹細胞Sに脱分化して再び同じような縞模様を作る。一方、細胞Bをある一定の数以上取り出すと今度は縞模様を作らず、B細胞だけの集団になってしまう。
 ここで生じてくるパターンはそれぞれの細胞内部のゆらぎと細胞同士の相互作用によって生み出されるものである。まず空間的な情報がある訳ではなく、相互作用から発生した構造が空間的に変換されたものである。

 上記のことからいろいろとひらめいた。
 人間の身体や精神状態の中にもそれぞれの細胞内のゆらぎとその周囲の細胞群の相互作用によって過去の歴史が様々な形で刻みこまれているのではないか。過去の体験によってゆらぎのパターンとして身体に刻みこまれたものが、病気の原因となったり、PTSDのような精神症状の原因になったりすることがあるのではないだろうか?
 ホログラムを連想。ホログラムは位相をわざとずらしたレーザーを対象に当てることによって、そこから反射されたレーザー光の干渉波をフィルムに焼き付けることによって、あとから立体映像を再構成させるもの。ホログラムの特徴はフィルムの一部分の中にも全体の情報が圧縮されて入っている。ホログラムのように我々の体の細胞ひとつひとつの中にゆらぎのパターンとして過去の全歴史が刻み込まれているのではないか…。
 人間の記憶もこれまで考えられているようにニューロンネットワークでのシナプスの伝達効率の変化のみならず、神経細胞に限らず様々な細胞のゆらぎのパターンにより刻み込まれている内容もあるのではなかろうか。
 親から子への遺伝は遺伝子だけではなく、ひとつの受精卵の中に込められた親の人生の履歴のゆらぎのパターンによる伝達もあるのではないか。
by ykenko1 | 2005-06-12 17:31 | 生物学 | Comments(2)

複雑系の生物学(12);金子邦彦『生命とは何か』レポート④ 遺伝子型と表現型の新しい見方

  金子氏の著書の中で遺伝子型と表現型に関する新しい見方が提示され、これがまた既成概念を突き崩すものである。
  まずは従来の生物学における遺伝子型と表現型に関する考え方を振り返れば、遺伝子の設計図に基づいて表現型が決定されるということ、表現型の変化が遺伝子型の変化をもたらすことはなく、遺伝子型の変化は子孫に伝えられるが表現型の変化は子孫には伝えられない、遺伝子の突然変異によって進化がもたらされる、というのが主な考え方である。この考え方では情報の流れは遺伝子型から表現型へ、という一方向の矢印が強調されることとなっている。
  しかし金子モデルではむしろ表現型の変化が遺伝子型の変化として固定化されていくことが明らかになる。それはいかにしてなされるのか?
(1)同じ遺伝子型でも異なった表現型をとりうる。
(2)相互作用によって異なった表現型のグループに分化(相互作用による分化であ  り、突然変異による分化ではない)→相互作用は同じ栄養源を取り合って競合する、 などを意味する。
(3)突然変異において遺伝子型の変化が起きるが表現型の変化を支持する方向への変 化を持つものの方が生き残りやすい。
(4)それによって分化したグループ間で遺伝子型の違いが生じてくる。
(5)相互作用の中で表現型そして遺伝子型の差異が増幅される方向の力が働く
(6)雑種不稔性(つまり別のグループとの間では子供が残せなくなる)が出現→この段階になると相互作用がなくともそれぞれのグループは安定して同一性を保つ。

  この他にも金子氏は化学反応のネットワークがあれば、反応速度の遅い比較的少数の分子が全体の状況をコントロールするようになり(少数コントロールminority controlの法則)、それが遺伝子の起源ではないかというモデルを提案している。
  なぜこのようなことを問題にするかと言えば、生命現象の基本としての“複製”という性質の起源をどう考えるかということが、関わっている。生物を精密な機械に見立てる立場からはまず正確な情報があり、そこから複製が成立すると見る。別の立場ではある代謝のネットワークが存在してそれが比較的いい加減な形で複製されるシステムを考え、それが徐々に進化していくことによって精密な遺伝情報ができあがってくると考える。金子氏は後者の立場に立って、比較的ルーズなネットワークから自然に遺伝子のような情報蓄積分子が生まれてくる仕組みを描き出すことに挑戦している。
    
 
by ykenko1 | 2005-06-05 18:17 | 生物学 | Comments(3)

複雑系の生物学(11);昨日の追加

 もちろん昨日書いた、「ゆらぎ」と認知の問題と言えば、ファジィ理論(ファジィとは日本知能情報ファジィ学会)などがからんでくるけれども、ファジィ理論では必ずしも「ゆらぎ」そのものが取り入れられている訳ではない。そういう意味ではまだまだこれから色々な応用が考えられるだろう。
by ykenko1 | 2005-05-18 12:47 | 生物学 | Comments(0)

複雑系の生物学(10);金子邦彦『生命とは何か』レポート③ゆらぎについて

  前回のレポートでは細胞分化のシュミレーションの図を掲載した。このシュミレーションのみそは、遺伝子がコントロールするような仕組みを考えなくとも、自然と細胞の分化が行われること。そこに必要なのは細胞内部の物質的ゆらぎと周辺の細胞との物質のやりとりを含めた相互作用だけである。細胞内部での物質のゆらぎという状況はそれ程、まれな状態ではなく起こりうる。
  条件としては膜に囲まれた細胞があり、その中に多種の化学成分が含まれ、そこで触媒反応が起こっている。そして膜には透過性があるので、膜を通して周囲の環境と物質のやりとりをすることができる。細胞は複数存在するので、反応に必要な同じ物質を周囲の細胞と取り合うような競合的な関係ができる。また細胞は内部の物質がある量に達すると二つに分裂するモデルになっている。
  このように揺らいでいるもの同士が相互作用するような場合、同一要素が振動していても、やがていくつかの振動パターンが同期しているグループを形成する現象をクラスター化といい、統計力学やカオスを中心とした非線形力学系でも知られている。
  ここで私の印象に強く残ったのが、この「ゆらぎ」の問題である。このシュミレーションでは「ゆらぎ」がすべての出発点となっているのである。それなくして生命の基本的な現象が成り立たない。それほど「ゆらぎ」が生命現象の本質に関わる現象であったのだ。この「ゆらぎ」の問題を他の分野に当てはめるとどうなるだろうか?
  視覚認知では人間の眼球は常に動いている。動きながら対象を捉えるのだが、動きが止まると見えなくなってしまう。これなどはまさしく「ゆらぎ」が認知に深く関わった現象だと言えるだろう。
  もう少し高次の認知に関してはどうだろうか?身近な問題として感じることは「新しい発見・気づきのためには(精神的)ゆらぎが必要だ」ということ。前に「複雑系の認識論(12);ヒトがミスを犯すとき」に書いたこととも共通するが、強いプレッシャーなどにさらされると精神が硬直し、さまざまなことに気づくことができなくなってしまう。複数の人間がディスカッションをしているときでも、「これはあまり関係ないかな」と思うようなことでもポッと思いついたことを言ってみると、それが新しい観点を提供するようなときがある。ノーベル賞の田中耕一さんが失敗から大発明に至ったのも「ゆらぎ」からの発明と言えるかもしれない。
  最初に何かを計画して実践に移る。実践の過程の中で思いもかけない出来事が起きてくる。そのときにそれを切り捨ててしまうのではなく、それも受け止めつつ発展していくのが本当の意味で創造的な活動ではなかろうか。我々は生活の中で、社会の中で大切な「ゆらぎ」をあまりにも多く、切り捨ててしまっているのではなかろうか。

追記;津田一郎の『カオス的脳観』(サイエンス叢書)という本を持っているのだが、以前読んだときは今ひとつピンとこなかった。今なら面白く読めるかもしれない。
by ykenko1 | 2005-05-17 21:18 | 生物学 | Comments(6)

複雑系の生物学(9);金子邦彦『生命とは何か』レポート②

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〜金子邦彦『生命とは何か』p268から〜
 上図ではあるモデルを用いた数値計算の結果で、細胞SからAとBという二種類の細胞が分化してくるようすが表現されている。横軸が物質2、縦軸が物質13の濃度を表す。(この二つの成分は任意に取り出したもの)
 モデルでは細胞Sの中にはいくつかの物質がさまざまな化学反応によってその濃度が変動しており、また周囲の細胞と相互作用している設定となっている。すると特別な仕掛けなしに、始めはS細胞だけであったのがA細胞、B細胞など別の変動パターンをもつ細胞が生じてくる。
by ykenko1 | 2005-05-15 20:08 | 生物学 | Comments(3)

複雑系の生物学(8);金子邦彦『生命とは何か』レポート①

  『生命とは何か』を8割がた読んだ。仕事の合間に読んでいるので時間がかかるし、味わいながら読んでいるのでさらに時間がかかる。
  この書は分子生物学への批判から始まっている。分子生物学の流れは半世紀前からのものだが、その出発はこれまでの生物学が行動観察や分類といった博物学的な手法から脱皮して、分子の世界から生命現象に光をあてることによって、より普遍的な法則性を見い出していこうとするところにあった。しかし、実際はどうか?ヒトの遺伝子のすべての役割を明らかにしていくヒューマン・ゲノム・プロジェクトが代表だが、それぞれの遺伝子の役割を枚挙する、代謝ネットワークを枚挙する(例;大腸菌の複雑な代謝ネットワーク)など枚挙主義に陥ってしまい、それが必ずしも全体的な見通しを立てたり、普遍的な法則性の発見につながっていない。
  またこれまで生物研究を困難にしてきた大きな要因のひとつが、進化も含めた歴史的履歴の問題である。つまり現在、我々の目の前に存在するすべての生物は地球上のさまざまな出来事や生物同士の相互作用の膨大な歴史的過程を背負って立っている。そのことにより、目の前の生物の観察や研究が生命現象の本質の解明に必ずしもつながらない。あまりにも重層的で複雑な要因が絡み合っているからだ。
  上記のような問題に対して金子は以下のようなアプローチを取る(構成的生物学の立場)。まずは化学反応のネットワーク系を基本におく。それがどのような物質・分子の化学反応であるかを問わない。これまでによく知られている化学反応の数式を用いてコンピュータ・シュミレーションを行い、その振る舞いを観察する。(ここにおいて重要なファクターが生命現象にみられる“ゆらぎ”である)その結果を簡単な生物(例えば大腸菌)を使った実験系において確認する。このような方法論によって、生命現象の本質的な要素、自己複製・分化・発生・進化・遺伝子の起源などの問題をひとつひとつ解明している。その際に、それが必ずしも地球上での生命現象そのものの解明を目指すのではない。もっと普遍的にこの宇宙のどこにでも成り立つ(例えば他の惑星上でも)法則性の解明を目指す。(そのことによって地球上の歴史的履歴によらない純粋な生命現象の探求が可能になる。)
  ひとつの細胞の中のいくつかの物質(n個)に注目し、その量や濃度を用いてn次元の状態空間を描くと、その細胞はn次元空間の中の一点として表現される。細胞はそれ自体内の化学反応のゆらぎや細胞間の相互作用により状態が変化するので、状態空間の中である軌跡を描く。その軌跡の分析にカオス力学系の考え方が有用であることも示している。
  ラングトンやウォルフラムらの人工生命の研究(コンピュータ上で生命のような振る舞いを示すプログラムの観察など)と似ていると考える者もいるかもしれないが、それらとは別のものだと金子は主張する。なぜなら人工生命の研究では生命現象があくまでも計算的なものと仮定して話を進めているが、それは必ずしも自明なことではなく、もっと広い観点からの生命現象の探求が必要と考えられるからだ。
(つづく)
by ykenko1 | 2005-05-11 13:28 | 生物学 | Comments(6)

今、はまっています。

  金子邦彦氏の『生命とは何かー複雑系生命論序説』(東京大学出版会)を読んでいるということを、以前書いたけれども、今かなりこれにはまっている。いろいろなイメージがふくらむ。生物研究の新しい方法論が示されている。
by ykenko1 | 2005-05-04 09:01 | 生物学 | Comments(3)