カテゴリ:科学など( 23 )

現代数学

訳あって『はじめての現代数学』(ハヤカワ文庫ノンフィクション)、『現代数学小事典』(講談社ブルーバックス)を読んでいるのだけれど、面白いねえ、現代数学!
by ykenko1 | 2011-03-30 12:41 | 科学など | Comments(0)

情報をエネルギーに変換?!

中央大学と東京大学の共同研究で「情報をエネルギーに変換することに成功」

PDF版。

togetter。

Takahiro Sagawa Web Site

こういう話には感動する!

マクスウェルの悪魔を実験装置として現実のものにした。

しかし、「情報をエネルギーに変換」ではなく、「ミクロのゆらぎのエネルギーを情報処理とフィードバック制御の過程を通してマクロなエネルギーとして取り出した」と言うことなのだと思う。つまり「情報を利用してエネルギーを取り出した」と言う事。エネルギー保存則やエントロピー増大則を侵している訳ではないようだ。

新しいエネルギー源になるのだろうか?エネルギー産出の効率はどうなのか?ナノマシーンの動力源などに使えないだろうか?

興味は尽きない。


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by ykenko1 | 2011-01-19 22:28 | 科学など | Comments(0)

科学の限界と21世紀の科学

私は科学を愛するけれども、その限界も知っている。科学は絶対的な知識ではない。

哲学者のヒュームは個々の事例から普遍的な法則を導きだす帰納法的方法論の論理的誤謬性を鋭く指摘した。例えば太陽が東から昇ることが、過去においてどれだけ観察されたとしても、それは明日も太陽が東から昇ることを絶対的に保証するものではない。それは単なる経験則としてそうであろうと予測されるというだけのことだ。

また科学は何らかの観測手法によってその理論を確認するが、その観測手法や観測装置そのものが時代と共に変化、進歩する。そのためある時代における確認結果はその後になって否定される可能性が常に残されるとベイトソンは書いた。また同じベイトソンによる指摘は、我々がこの世界について手にする情報は常に何らかの解釈の結果であって、生のデータではない。例えばバラの赤という感覚情報であっても、それは我々の感覚器官による解釈の結果を受け取ったものである。(それはちょうどカントが「物自体」を知る事はできないと言ったのと同様の内容なのだけれど。)我々がある時に扱う情報はその時の宇宙のすべての情報を含んでいる訳ではなく、その一部分を切り取ってきたものに過ぎない。切り捨てられた情報を切り捨てて良いという保証はどこにもない。

19世紀の科学の進歩は我々の日常的世界を理解することにおける科学の絶対的有効性を我々に確信させた。しかし20世紀に入り、この宇宙は我々の日常的レベルを超えた辺縁において不可思議な姿を呈することが次々に明らかにされた。相対性理論は光速に近づくにつれて歪むマクロの時空の姿を明らかにし、量子力学においては素粒子の世界に置ける非決定論的世界観を提示し、複雑系の科学はこの世界の予測不可能な領域を我々に教え、ゲーデルの不完全性定理は数学的ロジックの限界性を決定的なものにした。

極限の世界は虚構と現実が交差した世界である。虚構=モデルを現実の世界に引き止めるのはほそぼそとした確認行為の数本の糸のみである。過去においては物が燃えるのはフロギストン(燃素)がふくまれているため、光が伝播するのはエーテルという媒体があるから、と信じられていたが現代においてはフロギストンもエーテルも虚構の産物として葬り去られた。それならば現在、量子重力を説明すると期待される超ひも理論が将来、虚構の産物とされないとも限らない。何が虚構で何が現実かは必ずしも明瞭でない世界が科学の中には明らかに存在する。

21世紀に住む我々はいかなる姿勢を持って、この宇宙と世界に臨むべきであろうか?それは我々に次々にそして無限に新しい姿を見せる宇宙の前に、謙虚な生徒の如く学び、素直に楽しむ姿勢であろう。我々は宇宙の支配者ではない。宇宙劇場に招待された観客であり、時に指名を受けて演じる役者であるに過ぎない。

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by ykenko1 | 2009-04-21 16:36 | 科学など | Comments(0)

セス・ロイド;『宇宙をプログラムする宇宙』(2)

量子コンピュータの特徴はアナログとデジタルの両面を持っており、超並列的な計算をする。超並列的な計算とは並列的な計算同士が干渉しあい、非線形的な計算をするもの。脳も量子コンピュータに似ている。アナログとデジタルの両面を持ち、その計算過程はただ単に並列というだけではなく、その過程において干渉し合うため非線形的な計算となっている。脳を本当の意味でシュミレートするためには量子コンピュータを用いなければならないのではないか?


機械論的宇宙(従来);エネルギーが問題。
計算する宇宙(ロイド);エネルギーと情報が問題。


物理系が情報を表現しているだけではなく、物理系が情報の法則によって拘束されている。それは特に素粒子の世界で顕著である。位置と速度を同時に得ることができないというハイゼンベルグの不確定性原理も、絡み合った素粒子が空間的な距離を超越して一定の情報しか提供できないというのも、そのように解釈される。もしそうであるとすれば、この宇宙を物質とエネルギーだけで記述するのは片手落ちということになる。ロイドは量子重力の難問も量子計算する宇宙というパラダイムで解く道筋を示している。


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by ykenko1 | 2008-01-23 23:56 | 科学など | Comments(0)

セス・ロイド;『宇宙をプログラムする宇宙』

a0010614_8463460.jpg原題;“Programming the universe-A quantum computer scientist takes on the cosmos”

本書を読んで大変満足した。以前、私が予想していた情報物理学(情報と物質)の方向性が着実に前進していたからだ(ただし以前の私の思い描いていた情報とは違う形であったが。以前、私がブログに書いていたのはビリヤードボールの例で、ビリヤードのプレイヤーの頭の中にあった情報が物質の運動として転換されるというようなものだったが、実際にはプレイヤーがボールに最初に与えた運動量などの物理量という形で表現された情報が保存されるということになる。)。情報物理学はトム・ストウニアや稲垣耕作が提唱したもの。

セス・ロイドはMITの機械工学の教授で量子情報や量子計算、量子コンピュータが専門。その分野ではカリスマ的存在である。

ロイドによればこの宇宙は巨大なコンピュータと言うことになる。コンピュータはコンピュータでも量子コンピュータである。例えば素粒子はその位置と速度によって情報を表現する。素粒子同士の衝突などの相互作用はブール演算と同じ作用を意味する。

この宇宙は計算しているが故に必然的に生命現象や知性などの様々な複雑性を生み出すことになる。

ダーウィン流の進化論で考える時にいかにしてランダムな現象が生命などの秩序を生み出すことができるかということが問題になる。そのひとつの検証実験としてサルにコンピュータを叩かせてシェークスピアの作品のようなものを生み出すことができるか、というものがある。しかしその確率は当然のこととして限りなくゼロに近い。しかしシェークスピアは難しくとも極く簡単なプログラムを生み出すことができるかもしれない。簡単なプログラム同士が集まって複雑な仕事をするということはよりありえそうなストーリーである、とロイドは考える。

自己言及的なプログラムは予測不可能な振る舞いを見せるというのも面白かった。また熱力学の第二法則は物理法則において情報が保存されるという観点から説明されるらしい。

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by ykenko1 | 2008-01-16 00:44 | 科学など | Comments(4)

Hermann Haken;『情報と自己組織化』

a0010614_1437911.jpgHermann Haken;『情報と自己組織化』

わるねこさんから教えられたりしてハーマン・ハーケンはいつか読んでみようと思っていたのだけれど、今回『情報と自己組織化』という本を読んでみた。定性的な記述が少なくて、数式が展開されていく記述が8割を占めていて、なかなか私には批判的に読むのは難しい内容だったのだけれど、実際にハーケンの理論を実験で使いたい人にとっては便利なのだろう。

ハーマンが作り上げたシナジェティックスという学問は、多数のエージェントからなる協同現象により新しい秩序が生まれてくること(非平衡相転移)をレーザーの研究から理論化して、他の現象にも応用可能であることを示したものだ。その中で出てくるキーワードが秩序パラメーターと隷属原理。秩序パラメータとは協同現象がある一定の水準に到達した時に、多数の現象の足し合わせではない、新しく出現した秩序を記述するパラメータのこと。(この時に情報圧縮が起きているとハーケンは言う。)隷属原理または隷属モードとはそのように出現した秩序パラメータに対してそれぞれのエージェントがどのように従うのかを決めるルールおよびその状態のこと。通常、ある系に対して秩序パラメータは数少ないまたはひとつであるが、隷属モードは多数ある。

ところでハーケンは本書で、上記の理論を更に発展させている。秩序パラメーターと隷属原理はそれぞれのエージェントから出発して、新しく生まれる秩序を記述する方向性の理論であった。その事を彼は微視的または準微視的レベルの枠組みであるとしている。それに対して、本書では系全体の状態が秩序パラメータや隷属原理生み出して行く仕組みを模索している。これを巨視的なレベルの枠組みと呼ぶ。その時のキーコンセプトが情報(またはエントロピー)であり、最大情報エントロピー原理(または最大エントロピー原理)である。

ここで彼が使っている情報はシャノン流の情報理論で、ボルツマンのエントロピー概念の特殊形である。シャノン流の情報はその意味する内容については切り捨てられて、その量的な側面に注目したものであるが、一方で確率論との関係が強いもの。ある系のひとつの状態があった時にそれがどれだけ実現しにくいのか。実現しにくい状態が実現している程度に応じてその情報量は高いとみなされる。

一方、最大エントロピー原理は1950-60年代にジェインズによって定式化されたもので、系についての情報の不足がある時に、その系は最も起こりやすい状態(エントロピーの高い状態)によってモデリングされるというもの。

ハーケンは情報の概念と最大エントロピー原理を用いて、全体の状態が秩序パラメータやその変化のパターン、および隷属モードを導く様式を明らかにしている(…らしい。数式の羅列がなかなかフォローできないもので)。その時、秩序パラメータは情報担体と呼ぶ方がふさわしいと言う。

話はそれるけれどもシャノンが切り捨てた情報の意味は受け取った側の反応を含めて考えた時に明確になるとハーマンは指摘して、本書の中で簡単なモデルを提示している。

私にとっては情報と自己組織化というキーワードにつられて読んだ本であったが、そこそこ面白かった。しかしまだまだこれからの分野ではある。(ハーケン自身、最大エントロピーの概念の中に主観的要因が入るので限界があることを指摘している。)
by ykenko1 | 2007-09-17 10:35 | 科学など | Comments(3)

情報と量子力学

情報と物理学の関係が量子力学の世界で展開されていて、面白い。

'量子が変える情報の宇宙' from 情報考学 Passion For The Future

「古典力学系では構成単位に「情報」は見当たらなかった。ところが量子力学の登場により、ミクロの世界の振る舞いは情報論的に記述しないと理解できないことが共通認識となった。量子レベルの存在は、確率論的に振舞う。たとえば原子の核の周りを回る電子の位置は、確率的にしか特定できない。観測技術の問題ではなく、それは本質的に確率的な存在であるからである。こうして量子力学という場で、確率という情報(BIT)が、実在(IT)とはじめて接点を持ったのである。」
by ykenko1 | 2006-03-24 13:42 | 科学など | Comments(2)

ホーキング博士の量子重力理論

 ホーキング博士の量子重力理論って、どうなんだろう。宇宙に非特異点を作りたくないからと言って宇宙の始まりを虚数時間にするのって、理論として美しくないのでは。なにかつぎはぎだらけのような。そりゃ、そうすれば非特異点がなくなって話の辻褄が合うというのは分かるけれども。Newton別冊『宇宙創造と惑星の誕生』を読んだ素人の印象だから何の説得力もないけれど…。なんだかなぁ。
by ykenko1 | 2006-03-09 00:39 | 科学など | Comments(0)

情報物理学

検索したら情報物理学という言葉は既にいろいろ使われているんですね。ただしその意味するところはいろいろのようです。量子コンピュータとの関係などもあり。

情報物理学 研究室Information Physics
情報物理学研究室
稲垣 耕作 助教授(筆名:逢沢 明)
UNM INFORMATION PHYSICS
Quantum Information and Information Physics at IBM Research Yorktown
Information-Physics on the Web
Molecular Information Theory and the Theory of Molecular Machines
Laboratory of Information Physics
Information and the Internal Structure of the Universe: An Exploration into Information Physics
by ykenko1 | 2005-08-15 15:44 | 科学など | Comments(21)

意識の起源について(2)

edaさん、symwooさん、コメントありがとうございます。
長くなるのでひとつの記事として私の考えを書いてみます。

edaさん
>「内面性や主観性の起源は説明できない。」と仰る意味が僕には分かりません。
>意識とは思考や自我とは別の存在(?)で内面性も主観性も持ち得ないような気がします。的を得ない例えかもしれませんが、コンピュータなら思考が計算で、自我がソフトウェアで、意識はソフトウェアが起動する環境のようなもので、計算が内面や主観を作るのではないかと。


  私がここで使っている意識という言葉はedaさんが自我とか思考とか言っている内容も含むものです。つまり意識それ自体と意識されるものの両者を指しています。
  それから前置きとして、私がこれから書く内容は哲学や心理学の世界では昔から指摘されているような内容で目新しいものではありませんが、私としてはそれらが脳科学との関係からどう説明できるのか、に関心があります。
  私たちが経験する世界を内側の世界と外側の世界に分けます。私たちの外側の世界、特に物質的なものは誰にでも同じように認識され共有されるものです。一方、私たちの内なる心の世界は他者と直接共有することができません。言語や身体表現を通して間接的に共有されるのみです。これらを対比してある人は「公共的」「私秘的」という言葉を使っています。
  外側の世界に存在するものはほとんどのものは数量化することができます。そしてある種の方程式に従って振る舞います。(生物や人間社会の現象は必ずしも方程式に表わせませんが、ここでは主に物質的なものを想定しています。)一方、内側の世界の現象は数量化できず、方程式で表すこともできません。そしてすべてがある種の質感を伴って存在します。この質感のことを「クオリア」と言います。私たちが外側の世界を認識するとき私たちは直接外側の世界そのものを認識するのではなく、外界からの情報が脳の中で再構成されて、クオリアの塊として認識しています。
  この外側の世界と内側の世界の関係をどのようなものとして考えるのかというのが「心脳問題」つまり心と脳の問題です。
  一般的な科学の世界の常識では心的現象は物質的現象に随伴するものに過ぎず、心的現象は物質的現象に影響を及ぼすことはない、物質的現象はそれだけで閉じた世界を形成している、というような考え方をします。これを随伴現象説と呼びます。つまり心的現象は物質現象の影のようなものに過ぎないと言うわけです。実際に脳を調べることにより、さまざまな心理現象と脳細胞の働きの対応関係がかなり分かってきています。
  ところがこれに対する反論として「哲学的ゾンビ」の話があります。それはどういうものかと言えば、姿かたちや脳や神経系を含めた身体構造、言動はまったく普通の人間と同じだけれども、内面性をまったく伴わないゾンビの存在を仮定します。そうした場合にそのゾンビを観察すると外側からのいろいろな情報に対して感覚器官を通して情報を受け取り、神経系と脳細胞が活性化されてある種の出力をします。これらの過程は完全に普通の人間と同じように観察されますが、彼には私たちが感じているようなクオリアを感じることができません。石をぶつけられたら「痛い」というような表情をしますが、実際に「痛い」と言うのがどんな「感じ」なのかは彼には分かりません。
  物質的な世界観からすれば人間は進化の過程でこのゾンビのような存在でもよかったはずです。むしろその方が自然です。しかし実際には我々人間には内面性やクオリアがある。内面性やクオリアが物質現象の影に過ぎないのならば、進化論のパラダイムからすればそんなものは当然自然淘汰されて消えてしまうものではないか。ところが実際にはそうはならなかったのは内面性やクオリアといったものが物質現象の影というだけではなく、むしろもっと積極的に物質現象に影響を及ぼすのではないか。あるいはもっと根本的な宇宙の原理として内面的な世界と外面的な世界が存在する必然性があるのではないか。
  内面的な世界と外面的な世界の関係については脳科学者だけではなく、量子力学者の中にも強い関心をもつ人たちがいます。なぜかというと量子力学の観測問題といってシュレディンガーの方程式というよく知られた方程式の振舞い方が観察している人間の意識の問題も含めて考えなければうまく説明できないからです。
  さきほど脳との対応関係の中でさまざまな心理現象が理解されてきていると書きましたが、実はもっとも肝心な部分が分かっていません。それは結びつけ問題というのですが、視覚なら視覚の情報、聴覚なら聴覚の情報が脳のどの部分でどのように処理されるか、と言うのはよく分かっているのですがそれらの情報がどのように結び付けられ、統合されるのかが分からない。私たちが普段なんらかの経験しているときはばらばらのものとして経験されるのではなく、必ず統合された形で経験するようになっている。この問題に関してもいくつかのモデルが考えられていますが、とても満足がいくようなものではありません。
  ここでedaさんの質問に戻りますが、私が「内面性や主観性の起源は説明できない。」と書いたのは上記のような文脈で脳や物質現象との関係で内面性や主観性、クオリアと言ったものを明快に説明できるモデルがないし、また原理的にも飛躍がありすぎると言うことです。
  それならばむしろこの宇宙にはあらかじめ内面性といったものが備えられていて、それが個々の人間の現れたに過ぎないのだ、と考えた方が論理一貫するのではないか、というのが私の論点です。

symwooさん
>感情から意識が進化してきたのではないかと
  上に書いたように私としては感情や思考や自我を含めた意識の問題を従来の科学のパラダイムではうまく説明できないのではないか、というのが感じているところです。
by ykenko1 | 2004-10-08 10:50 | 科学など | Comments(13)