カオスの縁(1)

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  複雑系の科学の中で生命現象ととらえるときに重要になるのが「カオスの縁」という考え方です。その考え方が出てきた経緯は、イギリスの科学者スティーブン・ウォルフラム(マセマティカというソフトの開発者としても有名)が考案した(一次元の)セル・オートマトンというコンピュータソフトに端を発しています。一次元のセル・オートマトンとはセルが横一列に並んでいて、時間の経過に従って一段づつ下にセルが移行していくのですが、それぞれのセルは白か黒かどちらかの状態しか取れません。あるひとつのセルが次の時間にどのような状態になるかはそのセルとその隣接する2つのセルの状態に依存して変化します。言葉で説明すると複雑なようですが、実はとても単純なルールに従っています。そのような一種のゲームのようなものですが、生命現象に似ているということでライフ・ゲームとも呼ばれます。
  さてそのようなセル・オートマトンのさまざまな振る舞いを調べていく内にそのパターンが4つに分けられることを発見しました。それが図にあるクラス1〜4ですが、クラス1は真っ白か真っ黒になるパターン、クラス2は何段階かを経過するとある一定のパターンに落ち着くもの、クラス3は黒と白がまったくランダムにあらわれるパターン(実はこれは以前紹介したカオスの状態です)、クラス4はランダムでも規則的でもないようなパターンを示すもの、です。このクラス4をまったくのランダムさとまったくの規則性との中間という意味でカオスの縁の状態といいます。そして生命現象はこのようなカオスの縁に現れると考えられるのです。(図は『複雑系を超えて』筑摩書房から)
# by ykenko1 | 2004-05-09 00:47 | 科学など | Comments(0)

再び階層構造について

この分野は非常にうるさい人がいるので...
prigogineさんの説明でOSIシステムというのが情報通信における階層的システムであることを知りましたが、ハード面からソフト面にわたる階層構造のようですね。ところでここで私が更に注目している階層構造として、情報の世界そのものの階層構造、あるいは論理の世界そのものの階層構造があります。これについては私はグレゴリー・ベイトソン(「精神と自然」新思索社)を通して知ったのですが、彼によれば人間同士のコミュニケーションにおいてその中の階層構造が理解できない状態が統合失調症(=精神分裂病)だと主張しています。統合失調症に関するこの考えには同意できませんが、論理の世界そのものの中にも階層構造があるという考え方はとても刺激を受けます。もともとは数学者のラッセルが言い出したことのようです。
# by ykenko1 | 2004-05-03 08:42 | 科学など | Comments(-1)

クオリアについて

クオリア
  いきなりクオリアですか!おいおいそんな話もやろうかなと思っていましたが、いきなりそんな難しい話になってしまって嬉しい限りです。以下の話はあくまでも私の独断と偏見ですのであしからず。
  クオリアというのは心と脳の問題の中で、人間が外界を認識する際の質感をいうのですが、これを脳との対応関係で説明するのが今のところ難しいということになっています。(プリゴジンさんはこのあたりのことは大体ご存知とは思いますが。)クオリアの問題については日本ではソニーサイエンスの茂木健一郎さん(クオリア・マニフェスト)が「脳とクオリア」という本を書いていて、私も茂木さんを通して知りました。まあ、クオリアというと人間の内面世界の一部なのでもう少し広い概念で内面の世界と外面の世界ということで議論を進めると、私の尊敬する脳科学のある先生はこんな風に言われてました。「物質の世界は形のある世界だ。一方、心の世界は形のない世界だ。形のあるものをいくら細かく分析したところで形のない世界を説明できない。心と脳の関係は対応関係について言えるとしても因果関係ではない。」と。私もそう思います。
  アメリカの哲学者でディビット・チャーマーズという人がいて、さっきの茂木さんも高く評価している人ですが、この人の本に「意識する心」(白揚社)というのがあります。チャーマーズの主張は自然主義的二元論という立場です。どういうことかというとやはり精神現象を物理現象に完全に還元することは難しいだろう。なぜかというと論理的には人間とまったく同じように言葉をしゃべり、行動をするが内面世界が欠如したゾンビを想定することができる。つまりニューロンの発火現象などは普通の人間と同じように起こり、脳も活性化されて外面的には人間と同じようぬふるまうことができるけれども、その内側でいろいろなことを感じる心(あるいは私)が欠如している存在としてのゾンビ。現実的には物理的現象に精神現象が伴っているように見えるが、それは必然的なことではない。それは自然的に伴っている。自然的に伴っているというのはもともと自然界の法則としてそういうようになっていて、それはもうそれ以上説明できない。というような考え方です。
  京大の稲垣耕作さんは情報物理学というのを提唱していて、素粒子そのものの中にも生命や精神現象の萌芽が含まれているのかもしれないというようなことを語られています。
  私も精神現象を物理現象に還元するのは難しいだろうと感じていて、だからこそ次元や階層の話を問題提起したわけです。しかし、この問題についてはあるデータをもって証明することも反論することもできない現状です。
# by ykenko1 | 2004-05-01 10:48 | 科学など | Comments(1)

カオス

  今回のキーワードは「カオス」。
  カオスとは今までまったくのランダムな現象と考えられてきたものに実は背後にあるシンプルな法則性があることが見いだされた現象です。逆に言えば「ある一定の規則に従いながら起きている(決定論的)現象であるにも関わらず、結果として非常に複雑な(非決定論的)動きをする現象」とでもいえるでしょう。例えば、煙の動き、雲の形、木の葉が舞い落ちるときの軌跡、株式市場の価格変動、等です。それから有名なカオスの例えに「パイこね変換」というのがあります。これが何かというと、小麦粉の生地を用意してパイを作るのですが、生地を引き延ばして折り畳むという操作を何回も繰り返します。このとき生地の一点に注目してその動きを観察すると全くランダムな動きをして予測不可能になるのですが、その基本となるルールはとてもシンプルです。カオスの重要な性質のひとつに「初期値敏感性」というのがあります。それは初期条件が少しでも変化するとその後の現象が大幅に変化してその変化の仕方が予想ができないものになってしまうというものです。このため気象予測の方程式を立てても初期値敏感性のために、気象現象の予測が非常に困難になっているのです。
  このカオスの発見は20世紀の相対論、量子論に続く第3の科学上の発見とも言われています。相対論は宇宙というマクロの世界、量子論は素粒子のミクロ、カオスはその中間のレベルの法則です。
  カオスの発見については1963年の気象学者エドワード・ローレンツによるとされていますが、実は日本の上田睆亮(よしすけ)氏の1960年の発見の方が先だそうです。
 カオスについては『カオス』ジェイムズ・グリック(新潮文庫)が物語風にその発見の歴史的な過程について面白く紹介しています。
   おまけリンクカオス&フラクタル紀行
# by ykenko1 | 2004-04-25 22:31 | 科学など | Comments(2)

コンピュータ・シュミレーション

  これからキーワードを中心にして話を進めてみたいと思います。今回は、「コンピュータ・シュミレーション」。
  複雑系の科学の方法論はまだまだ開発途上にあるわけですが、その方法論のひとつにコンピュータ上のシュミレーションを通して現象を理解すると言う方法(構成的手法)があります。ある現象を観察してそこからある特徴を抽出して比較的シンプルなモデルを作る。そのモデルをさまざまな形で相互作用させるシュミレーションを行い、その結果から現象に関するいろいろな洞察を得る、という方法です。例としては、コンピュータ上で生命のような振る舞いをする人工生命(artificial life)や株式市場のシュミレーションである人工株式市場などがあります。(ここで人工生命を体験できる楽しいHPを紹介します。artificial lifeちょっと試してみてください。ただしMacユーザーの方はInternet Explorlerで見てください。でないとうまく動きません。)
  ここで不思議なことがあります。コンピュータ・シュミレーションで何故現実世界のいろいろな現象が理解できるのか?コンピュータ・シュミレーションというのは一体何を見ているのか?見ているものは要はコンピュータ上の計算の結果を見ている訳です。(計算物理学なんていう方法論もあります。)ある面から見れば複雑な自然現象の背後の新たな数学的側面が見えてきた、ということができると思います。また逆から見ればコンピュータ上の情報の世界も自然界の法則に従っているからこそ、コンピュータ上のシュミレーションが自然現象に似てくるのかもしれません。(今回は、『複雑系入門』NTT出版、と『複雑系を超えて』筑摩出版の稲垣耕作先生の内容を参考にさせていただいております。特に京大助教授の稲垣先生の「情報の法則も自然法則である」という言葉には感動しました。)
# by ykenko1 | 2004-04-18 21:19 | 科学など | Comments(2)

階層・次元の問題(3)

  現在、世界保健機構(WHO)では人間の健康の定義として「身体的・心理的・社会的・霊的(スピリチャル)に健全な状態」としています。また精神医学の世界では人間理解の多次元モデルとして「生物・心理・社会・実存」という幾つかの次元に渡って人間を理解することが常識になっています。
  私は究極の複雑系は人間だと考えています。そして私自身の複雑系に関する最大の関心は人間を如何に理解できるか、ということでもあります。
  その人間自体がいくつかの次元に渡って存在しているとすればその関係がどうなっているのかもっと解明され、整理されなければならないと思うのですが、そういう問題が置き去りにされている。たとえば生物的な次元でとらえる人々はそのレベルでしか人間をとらえられない、心理的次元でとらえる人々は心理的次元でしかとらえられない、以下同様…という具合です。もっと統合的に人間をとらえることはできないのか、あるいはまだそういう時期まできていないのか。
  私自身の専門(というか、かじっている程度ですが)は「脳と心の関係」なのですが、この分野でもこの次元の問題がおろそかにされていることがあると強く感じています。
  さて、階層・次元の問題は今回で終わりにして、次回からは次に進みたいと思います。
# by ykenko1 | 2004-04-15 23:56 | 科学など | Comments(6)

階層・次元の問題(2)

  前回に引き続き階層・次元の問題について。
  これもまた前回に引き続き『複雑系入門』(p13〜14)からの引用ですが、「システム論者ピーター・チェックランドは、実験科学としての観点から物理学、化学、生物学、心理学そして社会科学という序列に階層を作りかえた。各階層は独自の説明体系をもっているが、その下の階層の言葉でも説明ができるはずである。例えば、物理法則に基づいてはたらいている化学反応は物理学の言葉で説明できるはずであり、化学反応でなりたっている生物は化学の言葉で説明できるはずである。しかし、現実にはそうはなっておらず、個別科学の各階層の間にはギャップがあるとチェックランドは指摘している。」
  この各階層間のギャップについて研究することもまた複雑系科学の使命であるとすれば、このギャップがなぜ生じるのかという問題がこの新しい方法論によって解明されることを私としては強く願います。というのは今までの科学は進めば進むほど、細分化する方向に発展してきたので、それを統合していく方向性というものがどのようにして見いだすことができるのか、ということは大きな課題であると考えるからです。うまくすれば文系と理系との間の風通しももっとよくなるかもしれません。

参照;創発と物語(一)
# by ykenko1 | 2004-04-11 19:06 | 科学など | Comments(2)

階層・次元の問題(1)

skywalkerさんから頂いたコメントで、「また、物理的次元、生命的次元、心理的次元という直感的に感じられる次元の違いがありますが、そのような区別について、複雑系ではどのように考えるのでしょうか?」という内容に関して文字数の関係でコメントバックできなかったのでここに書いてみます。『複雑系入門』(井庭、福原;NTT出版,p14)から引用させていただくと「(いくつかの次元・階層があるがそれらの間にはギャップがある)ここでこのギャップを埋めるのに大きく分けて二つの考え方があると思われる。一つは還元主義的な考え方で、現在の個別科学の研究を進めていけば溝が埋まるというものである。…もう一つの考え方は、このギャップはある程度までは埋まるとしても、現状のままでは完全につながることはなく、新しい概念が必要であるという立場である。…ここに『複雑系』の概念が登場するのである。…従来、『複雑系』科学は個別科学を否定するかのようなイメージで語られることが多かった。しかし本質はそうではなく、個別科学間の連結部分を問題にしているのである。」ということで、その次元の違いそのものも大きなテーマにしているのが複雑系の科学であると言えそうです。この階層・次元の問題はとても重要な問題だと私は考えているので、今後何回かに分けて考察してみたいと思います。
  ところで『複雑系入門』(井庭、福原;NTT出版)は入門書としておすすめです。複雑系の科学の全体像が分かりやすく(図解付きで)紹介されています。今後、私の複雑系関連おすすめ本や書評も書いていきたいと思います。
# by ykenko1 | 2004-04-04 19:30 | 科学など | Comments(2)

複雑系って何?

  前回から始めた「複雑系」というテーマですが、中には「複雑系って何?」という方もいらっしゃるでしょう。「複雑系」の定義についてはまだ厳密なコンセンサスを得るところまではいっていないようですが、私なりの定義としては「複数の要素からなるシステムがあって、それらの要素同士が相互作用を及ぼしあっている状況の中で、それぞれの要素の内容を足し合わせた以上の機能や力をもつようになったもの」と考えています。
  具体例としては「物理的システム」「化学的システム」「(個体レベルの)生物」「(複数の生物から構成される)生態系」「心理現象」「社会現象」「経済現象」、その他もろもろがあります。
  私が複雑系の考え方に賛同する理由としては要素還元主義は間違っているという直感があります。それはつまり例えば一匹のカエルがいて、そのカエルをバラバラに分解していった時に、その分解された部分が解明されれば個体としてのカエルのすべてについて解明される、というような考え方は間違っているだろうという直感です。この考え方を突き詰めれば、人間は原子の固まりだから原子の性質についてすべて明らかにすることができれば、人間の言動や心理現象などのすべてについて理解されえる、ということになります。私としては生命現象にしろ、心理現象にしろ、より高次の現象(私の立場は世の中の現象には低次から高次に至る様々なレベルがあり、レベルの異なったものを同一次元で取り扱うべきではないという立場です)はより低次の現象によってある種の規制を受けるとしても決定はされない、と考えています。例え話として、ある人が馬を川辺までつれてくることはできたが、その馬に川の水を飲ませることはできなかった。それは馬自身が飲む気にならなかったので、という状況と似ているのだと思います。より低次の現象の法則によって馬が川辺につれてこられたとしても川の水を飲む飲まないは馬の意志というより高次の現象のルールにゆだねられる。そんなイメージです。
  これまで要素還元主義に反対する立場の方法論はいくつか提案されましたが、複雑系の考え方が方法論としても洗練されていてもっとも説得力があると思うのです。
# by ykenko1 | 2004-03-28 22:54 | 科学など | Comments(2)

はじめまして

  はじめまして。このブログというものを最近、知って面白そうだな、と。簡単そうでもあるし、と。何か自分もやってみたいな、と思ったわけです。それで自分の関心があることについて徒然なるままに書いてみようと。
  何年か前から「複雑系」の考え方が面白いと注目してきたのですが、それに関連して自分が考えたことや感じたことなどをつづってみたいと思っています。関心がある方がいればコメントやトラックバック等、していただければ幸いです。もしかすると場違いなのかもしれませんが、続けられるだけ続けてみたいと思います。ただ私はあくまでも趣味の範囲で関心があるだけで、専門家ではないのでそのレベルのものと考えてください。
  「複雑系」について知ったのは1996年のこと。週刊ダイヤモンドという雑誌の特集で『知の大革命「複雑系」の衝撃』というのがあってはじめて知りました。(その頃、M.M.ワールドロップ著『複雑系』という本がベストセラーにもなりました。)「複雑系」のパラダイムによって生命・進化から経済・産業・企業までさまざまな分野での研究が進められており、これまでのアプローチでは理解できなかったことが理解できるようになってきたというのです。
  例えば経済の分野でこれまでの経済学では景気の動向を予測するときに上向きな状況が続けばやがては下向きの時期がやってくる。逆に下向きが続けばやがては上向きになるという、景気というシステムの波はいつか必ずバランスを保つ方向に戻る(ネガティブ・フィードバック)という暗黙の了解・前提となる考え方がありました。しかし実際の世の中にはそれにあてはまらないような現象も多々あります。例えばある企業がその業界でのシェアをどんどん拡大させ、トップに躍り出て負け知らずにトップの座を維持し続けること。そのような場合に元に戻ってバランスを保とうするネガティブ・フィードバックの力よりも、逆にますます利益が集中するようなポジティブ・フィードバックの力が働くというのです。(週刊ダイヤモンド’96.11.2号より、一部改変)
  新しい学問分野への期待と興奮を覚えました。
# by ykenko1 | 2004-03-23 21:06 | 科学など | Comments(2)