複雑系の認識論(10);人工知能と将棋

  昨日NHKの教育テレビで「人工知能と将棋」の話をやっていた。1997年にディープブルーというコンピュータがチェスの世界チャンピオンを破ったが、将棋においては名人を打ち破るのはまだまだらしい。それでもコンピュータの方も徐々に強くなっているようで、現在、アマチュアで最強の人々を打ち負かすぐらいの実力はあって、2012年ころにはプロの名人を越えるだろうと予想されているようだ。
  将棋とチェスの違いは、ご存知のようにマス目が9×9と8×8で将棋の方が多いし、一番の違いは将棋は取った相手の駒を好きなところに打てるのでそれによって打つ手の可能性が桁違いに多くなって、コンピュータでも予想が難しくなるとのこと。何でもチェスの手が10の百何乗のレベルで将棋は10の二百何乗と、100桁以上異なってくるとか。
  コンピュータは網羅的にあらゆる手の可能性を驚異的なスピードで計算することは得意だが、全般的なビジョン(大局観)をもって将棋を指すことができない。そのため特に序盤の組み立てが難しい。現在は、そのあたりのコンピュータの弱点を補強するために過去の名人の棋譜を数多くデータ入力している。
  人工知能で将棋をやらせている研究者は、そのような研究の中で将棋の強いコンピュータを作ること自体が目標ではなくて、それを通して人間の認知機能のあり方についての洞察を得ることが目標だという。
  以上が番組の内容だが、果たしてこのような方法論によって人工知能が名人を打ち負かしたからと言って本当に人工知能が人間を打ち負かしたと言うことができるのだろうか。それは違うだろう。何故なら人工知能は自ら考えている訳ではなく、すべてを人間にお膳立てしてもらって、そのプログラム通りに動いているに過ぎないからだ。以前のブログでも触れたが(がんばれ!日本人研究者(8);松本元パート1)、本当の意味での知能は自らアルゴリズムを獲得できるようなものでなければならない。すなわち、今回の将棋の場合で言えば最初に名人を打ち負かすという目標を立てて、そのためにはどうしたらよいのかというところまで、自らが試行錯誤する中で悟っていくようなものでなければならない。そのような人工知能が人間を打ち破ったとき、本当の意味でそれは人間に勝ったということができる。
  それにしても将棋は奥の深いゲームである。そのことがもっと世界的に認知されてもよいのではないか。
by ykenko1 | 2005-02-06 18:03 | 認識論 | Comments(2)
Commented by homeandhome at 2005-02-07 21:35
ディープブルーって懐かしいですね。当時NHKでみてました。確か、一手ごとの有利さをポイント化し、演算して最も高いポイントの手を打つというやり方だったような・・・うろ覚えですね。で、たしかそのころ「月下の棋士」って漫画がはやっていたような。しかし、逆に言えば人間はどうやって将棋を打っているのでしょうね。羽生さんなんか、ウン十手先まで読むらしいです。
Commented by ykenko1 at 2005-02-07 23:24
人間とコンピュータの一番の違いは大局観だそうです。コンピュータはそのときどきの局面の損得を計算しますが、序盤戦ではそれが通用しないようです。というのは序盤に打つ手は損とも得とも言えないからです。だからといって大局観なしに手を打っていくと、無秩序で勝ちに結びつかなくなるようです。今回の記事にも書いたのですが、過去の名人の棋譜を覚え込まされてそれによってコンピュータが人間に勝ったとしてもそれを人工知能と呼んでいいものか。ただの計算と記憶の機械に過ぎないですよね。
それから先日の日曜日にもNHKで羽生さんの将棋を見てましたが、やはり大局観がすぐれているのだな、という印象でした。もちろんそうなるためには過去の様々な棋譜の研究がなされているのでしょうが。


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